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【第六十回】

 197  主簿黃權入諫曰、『主公此去、必被劉備之害。某食祿多年、不忍主公中
 198  他人奸計。望三思之。』張松曰、『黃權此言、疎間宗族之義、滋長寇盜
 201  璋喝左右推出黃權。權大哭而歸。璋欲行、一人叫曰、『主公不納黃公衡
 218  黃權折齒終降備、矢節何如王累剛!
 228  各回寨中安歇。璋謂衆官曰、『可笑黃權・王累等輩、不知宗兄之心、妄

【第六十二回】

  20  黃權又復苦諫、璋乃量撥老弱軍四千、米一萬斛、發書遣使報玄德。仍令
  47  劉璋旣斬張松、聚集文武商議曰、『劉備欲奪吾基業、當如之何?』  48  曰、『事不宜遲。卽便差人告報各處關隘添兵把守、不許放荊州一人一
  84  有此事!』遂聚文武、問退兵之策。黃權曰、『可連夜遣兵屯雒縣、塞住

【第六十四回】

 170  報劉璋又遣黃權到。權先來見楊松、說、『東西兩川實爲脣齒、西川若破、
 171  東川亦難保矣。今若肯相救、當以二十州相酬。』松大喜、卽引黃權來見

【第六十五回】

   3  張魯大喜、先遣黃權從小路而回、隨卽點兵二萬與馬超。此時龐德臥病不
 144  要吃新飯、須待先主來。」此乃預兆。不可逆天道。』黃權・劉巴聞言皆
 155  諸官、皆拜於堂下。惟黃權・劉巴閉門不出。衆將忿怒、欲往殺之。玄德
 164  馬、劉巴爲左將軍、黃權爲右將軍。其餘吳懿・費觀・彭羕・卓膺・李嚴・

【第八十回】

 125  駕趙祚、治中楊洪、議曹杜瓊、從事張爽、太常卿賴忠、光祿卿黃權、祭

【第八十一回】

  44  虎威將軍趙雲爲後應、兼督糧草。黃權・程畿爲參謀。馬良・陳震掌理文

【第八十二回】

   2  川口。近臣奏曰、『吳使諸葛瑾至。』先主傳旨敎休放入。黃權奏曰、

【第八十三回】

  31  大會諸將、分軍八路、水陸俱進。水路令黃權領兵、先主自率大軍於旱路

【第八十四回】

  24  却說先主於猇亭盡驅水軍、順流而下、沿江屯紮水寨、深入吳境。黃權
  27  諫。先主不從、遂分兵兩路。命黃權督江北之兵、以防魏寇。先主自督江
  30  分四十餘屯、皆傍山林下寨。今黃權督兵在江北岸、每日出哨百餘里、不

【第八十五回】

   6 黃權引江北之兵、降魏去了。陛下可將彼家屬送有司問罪。』先主曰、
   7 黃權被吳兵隔斷在江北岸、欲歸無路、不得已而降魏。是朕負權、非權
   9  却說黃權降魏、諸將引見曹丕。丕曰、『卿今降朕、欲追慕於陳・韓耶?』
  12  慕於古人耶?』丕大喜、遂拜黃權爲鎭南將軍。權堅辭不受。忽近臣奏曰、
  13  『有細作人自蜀中來、說蜀主將黃權家屬盡皆誅戮。』權曰、『臣與蜀主、
  14  推誠相信、知臣本心、必不肯殺臣之家小也。』丕然之。後人有詩責黃權
  17  堪歎黃權惜一死、紫陽書法不輕饒。

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