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【第二十八回】

  61  正說話間、遙望一彪人馬來到。元紹曰、『此必周倉也。』關公乃立馬
  63  『此關將軍也!』疾忙下馬、俯伏道傍曰、『周倉參拜。』關公曰、『壯
  69  過多少艱難、未嘗要軍馬相隨。前廖化欲相投、叔旣却之、今何獨容周倉
  70  之衆耶?我輩女流淺見、叔自斟酌。』公曰、『嫂嫂之言是也。』遂謂  71  曰、『非關某寡情、奈二夫人不從。汝等且回山中、待我尋見兄長、必
  72  來相招。』周倉頓首告曰、『倉乃一粗莽之夫、失身爲盜。今遇將軍、如
  75  『一二人相從、無妨於事。』公乃令周倉撥人伴隨裴元紹去。元紹曰、
  76  『我亦願隨關將軍。』周倉曰、『汝若去時、人伴皆散。且當權時統領。
  78  周倉跟着關公、往汝南進發。行了數日、遙見一座山城。公問土人、
  88  敢問、只得隨出城來。關公望見張飛到來、喜不自勝。付刀與周倉接了、
 133 周倉問曰、『臥牛山裴元紹處、共有多少人馬?』倉曰、『約有四五百。』
 167  正行間、忽見周倉引數十人帶傷而來。關公引他見了玄德、問其何故受
 173  於是關公縱馬當先、玄德在後、逕投臥牛山來。周倉在山下叫駡、只見
 187  將佐無缺、又新得了趙雲、關公又得了關平・周倉二人、歡喜無限、連飮
 191  時玄德・關・張・趙雲・孫乾・簡雍・糜竺・糜芳・關平・周倉、部領

【第三十一回】

 113  山隘、路窄不得出。正奪路間、只見雲長・關平・周倉引三百軍到。兩下

【第四十九回】

 134  聲勢、必然投這條路來。將軍休得容情。』雲長領了將令、引關平・周倉

【第六十三回】

 112  關平・周倉一班兒輔佐雲長、同守荊州。一面親自統兵入川。先撥精兵一

【第六十五回】

 169  雍・糜竺・糜芳・劉封・吳班・關平・周倉・廖化・馬良・馬謖・蔣琬・

【第六十六回】

  67  巾綠袍、坐於船上。傍邊周倉捧着大刀。八九個關西大漢、各跨腰刀一口。
  80  叔卽君侯也、何得推託乎?』雲長未及回答、周倉在階下厲聲言曰、『天
  81  下土地、惟有德者居之。豈獨是汝東吳當有耶?』雲長變色而起、奪周倉
  82  所捧大刀、立於庭中、目視周倉而叱曰、『此國家之事、汝何敢多言!可

【第七十四回】

 118  船。衆視之、擒龐德者、乃周倉也。倉素知水性、又在荊州住了數年、愈

【第七十七回】

  19  公亦與泣別。遂留周倉與王甫同守麥城。關公自與關平・趙累、引殘卒
  56  却說王甫在麥城中、骨顫肉驚、乃問周倉曰、『昨夜夢見主公渾身血汙、
  58  將關公父子首級招安。王甫・周倉大驚、急登城視之、果關公父子首級也。
  59  王甫大叫一聲、墮城而死。周倉自刎而亡。於是麥城亦屬東吳。

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2003年11月からの
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