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【第三十三回】

 133  日、夏侯惇引衆人稟曰、『遼東太守公孫康、久不賓服。今袁熙・袁尚又
 135  『不煩諸公虎威、數日之後、公孫康自送二袁之首至矣。』諸將皆不肯信。
 136  却說袁熙・袁尚引數千騎奔遼東。遼東太守公孫康、本襄平人、武威將
 144  衡。今暫投之、後當殺公孫康而奪其地、養成氣力而抗中原、可復河北也。』
 145  商議已定、乃入見公孫康。康留於館驛、只推有病、不卽相見。不一日、
 146  細作回報、『曹操兵屯易州、並無下遼東之意。』公孫康大喜、乃先伏刀
 153  報遼東公孫康遣人送袁熙・袁尚首級至、衆皆大驚。使者呈上書信。操大
 154  笑曰、『不出奉孝之料!』重賞來使、封公孫康爲襄平侯・左將軍。衆官
 156  今聞袁熙・袁尚往投遼東、明公切不可加兵。公孫康久畏袁氏呑
 158  之、公孫康・袁氏必自相圖、其勢然也。

【第一百六回】

   1  却說公孫淵乃遼東公孫度之孫、公孫康之子也。建安十二年、曹操追袁

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2003年11月からの
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