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【第七十三回】

  99  綬。費詩方出王旨、令雲長領兵取樊城。雲長領命、卽時便差傅士仁・糜
 101  飮至二更、忽報城外寨中火起。雲長急披挂上馬、出城看時、乃是傅士
 102  ・糜芳飮酒、帳後遺火、燒着火砲、滿營撼動、把軍器・糧草盡皆燒毀。
 103  雲長引兵救撲、至四更方纔火滅。雲長入城、召傅士仁・糜芳責之曰、
 108  罰糜芳守南郡、傅士仁守公安。且曰、『若吾得勝回來之日、稍有差池、
 141  『糜芳・傅士仁守二隘口、恐不竭力。必須再得一人以總督荊州。』雲長

【第七十五回】

 117  『今荊州已得、但公安傅士仁、南郡糜芳、此二處如何收復?』言未畢、
 118  忽一人出曰、『不須張弓隻箭、某憑三寸不爛之舌、說公安傅士仁來降、
 119  可乎?』衆視之、乃虞翻也。權曰、『仲翔有何良策、可使傅士仁歸降?』
 122  却說傅士仁聽知荊州有失、急令閉城堅守。虞翻至、見城門緊閉。遂寫
 123  書拴於箭上、射入城中。軍士拾得、獻與傅士仁。士仁拆書視之、乃招降
 128  權乃召傅士仁謂曰、『糜芳與卿交厚、卿可招來歸降、孤自當有重賞。』
 129  傅士仁慨然領諾、遂引十餘騎、逕投南郡招安糜芳。正是、

【第七十六回】

   1  却說糜芳聞荊州有失、正無計可施。忽報公安守將傅士仁至。芳忙接入
   7  十萬石。令二將軍星夜解去軍前交割、如遲立斬。』芳大驚、顧謂傅士仁
  11  間、忽報呂蒙引兵殺至城下。芳大驚、乃同傅士仁出城投降。蒙大喜、引
  62  『公安傅士仁已降東吳了。』關公大怒。忽催糧人到、報說、『公安傅士
  63  往南郡、殺了使命、招糜芳都降東吳去了。』關公聞言、怒氣沖塞、瘡

【第八十一回】

   4  先主曰、『孫權害了朕弟。又兼傅士仁・糜芳・潘璋・馬忠、皆有切齒之

【第八十三回】

  76  軍自退。關興・張苞一處趕來。趕不數里、前面糜芳・傅士仁引兵來尋馬
  80  數。馬忠帶傅士仁・糜芳於江渚屯紮。
  83  所恨者、糜芳・傅士仁也。我等何不殺此二賊、去蜀營投降?功勞不小。』
  85  遂與傅士仁商議曰、『軍心變動、我二人性命難保。今蜀主所恨者馬忠耳。
  97  傅士仁剝去衣服、跪於靈前、親自用刀剮之、以祭關公。忽張苞上帳、哭
 102  急奏吳王、具言糜芳・傅士仁殺了馬忠、去歸蜀帝、亦被蜀帝殺了。孫權
 104  糜芳・傅士仁也。今此數人皆亡、獨有范疆・張達二人、見在東吳。何不

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